ゼルダの伝説BoWのアマゾンレビューに救われた話
一年程前だっただろうか、ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドのアマゾンレビューが泣ける、とネットで話題になっていた。
日頃からツイッターまとめサイトが大好きで暇さえあればチェックして見ている私は、そこにまとめられたツイートに貼られていたレビューを読んで、スマホ片手に鼻水流して泣いてしまった。
青年リーマンにしてみればお前誰やねんって感じだろうが、遠く離れたどっかの民家で鼻水垂らして自分を思って泣いているオバさんの事など知る由もないわけだから私の涙と鼻水は多分誰にも迷惑かけていないはずだ。
彼は今後私の事を知る事もなく、知ってもらいたいとも思っていないのだけれど私は、この青年に感謝しているのである。彼のレビューを読んで、このゼルダの伝説BoWを購入することを決めた。その事で私たち一家が救われる事になったのだから。
夫が会社のパワハラでメンタルをやられてしまったのだ。
しまいには「農家をやりたい」と言い出した。
どんな仕事でもそうかもしれないが、農業は特に適性というものが問われる仕事だと思っている。
夫の名誉のために言うが、彼はかなり慎重派で根気強く、思いつきや閃きで行動に出る人ではない。
家族の事も思い、農業を始めるにはどうすれば良いか?どんな方法があるか?どれくらいの所得が見込めるか?色々調べてはいたけれど、家庭菜園や園芸の趣味もなく、つまり好きでもないのに、まさしく畑違いの仕事に手をつけようとしている姿は明らかに冷静ではなかった。人間相手に仕事するのが嫌だっていうのが理由なら、炎上覚悟で言うと、ムラ社会で新参として序列最下位につくそこにはムール無用の階級社会が存在し、さらに野菜を売るにはなんとか協同組合とも付き合い、拒否すれば…人間関係はより密で複雑になるだろう。夫が人間から逃げようとして、している事はまったく矛盾している。
話が逸れてしまった。
とにかく、夫は判断を誤りかけていた。転職を考えないといけない事は間違いない。家に帰ると暗い顔で子供の今日の出来事を話す笑顔にも生返事をし、夕飯後はパソコンでトラック運転手の求人や農家の助成金のサイトのタブをひたすら増やしているのを見るにつけ、夫の代わりになれるような職に就いて「全部投げ打って辞めてきなよ」と言ってあげられない自分が申し訳なかった。
そんな時に、アマゾンのあのレビューを読んだのである。
どこの誰ともしれない青年の救われる姿に過剰に涙したのは、夫を投影していたのかもしれない。
父の日のプレゼントに「ゼルダの伝説BoW(Wii U版)」を選んだ。夫に妻が父の日ギフトを贈るなんて変だよ、というクソリプはどうかしないでほしい。
プレゼントしたその晩の事は今思い出してもなんとなく泣けてくる。
包装を解いた時にゼルダのソフトを見て、やや表情が明るくなった気がした。
子供達に「お父さん、早くやって見せてよ!」とせがまれて、いそいそと起動させる。
神秘的なオープニング画面の後、祠の中で長い眠りから覚めるリンク。取りこぼしのないように祠の中を隅々まで調べている夫、ゲームに限らず、いつもこんな感じだ。
ようやく出た外の世界。目の前に広がるハイラルの草原の美しさに目を奪われた。
木の葉の揺れる隙間から差す太陽の光、
流れて行く雲が草原に落とす影、
風がかき鳴らす草の揺れる音が耳元をすり抜けていくような錯覚に見舞われる。
祠は、山の天辺だったのだろうか、坂や斜面を下るごとに近づいてくる広がるハイラルの草原。
途中、下にボコブリンがいる崖の上から岩を落としてちまちまと退治した。小さい頃は高い所から何か落としてみるのが何故かやたら楽しかったものだ。
りんごを取ろうと天を仰ぐと、太陽の光が眩しくてまだチビだった子供達を連れてピクニックに出かけた事を思い出す。抱っこするとじんわりと汗ばんでいる子供のシャツの感触や、頭の匂いまで蘇ってきた。
夫がゼルダをやっているのを、家族全員で見ていた。セーブして電源を切るまで、ずっと見ていた。
私がいくらゼルダの世界観を仮想現実的に体感したとしても、夫がどう感じていたかはわからない。
でもその日以降、帰宅した夫にはゼルダの伝説をプレイするという、ささやかな、でも唯一の救いのような楽しみが出来たように思う。
「斜面を見ると『がんばりゲージ』が頭に浮かぶねん」と言っていた。
週末、家族で車に乗れば、路肩に生える草を見て「ハイラル草みたい…」と夫が呟けば、えっ?どこどこ?」と子供達と私は車中で振り返ってなんてことないただの雑草を一目見ようと必死になった。
子供達もゼルダで遊ぶ父親を嬉しそうに見ていた。子供なりに、それが父の救いになっている事をなんとなく感じ取っていたのだろうか。
その後も夫は毎日ゼルダの伝説をプレイしていた。時には昼間のうちに子供が勝手にレアアイテムを使って微妙な料理を作って、親子喧嘩していたりしたけれど、持ち前の根気強さで祠を探し、コログを見つけ、クリアすることよりも、ゼルダの世界を駆け回ることが楽しい様子だった。
本当の事を言うと途中、さすがにゼルダだけではどうにもならない苦しい状況まで追い込まれた。
でも、そんな時でさえ、やはりゼルダの伝説で別世界に繰り出せる、という逃げ道があった事は救いになっていたと思う。
やがて、ガノンと対峙する日が来た。同じ頃、夫の転職が無事に決まった。別に合わせていたわけではないだろうが…。そういうタイミングもあって、私達家族には辛かったこの期間、ゼルダの伝説の加護があったように思えてならないのだ、リンクに英傑達の加護があったように。
夫は、いつもの冷静さを取り戻すと、自分が人間関係すべてが嫌だったのではないことに気づき、まともな企業には、そんな人の尊厳を平気で蹂躙するような人間がいないことを知ったようだ。
夫は、新卒以来一つの企業でしか働いたことがなかったからかもしれない。上から目線のように聞こえ、不愉快になったならお許しいただきたい。でも、こうして己の世界の狭さを知ることは大人になっても、たくさんあるのだ。まして、子供ならなおさらだ。いじめや、受験戦争や、過酷な部活、これが一生続くような錯覚に陥ることは充分理解できる。逃げ癖がつくのも親の立場からすれば心配だけど、死なないと逃げられないことなど何もないことだけは、わが子にも教えておきたいと思う。
人間はどこにでも逃げられる。家に逃げ場がないこともあるだろう。親が受け止めてくれないこともあるだろう。でも、人間は人間の造ったものの中に逃げることも出来るのだな、と今回しみじみ感じた。それは、ゲームの中であり、映画の中であり、本であり、アニメやマンガであり…。逃げ場がない環境はドラクエの毒の沼と同じだ。身じろぎするだけで体力を奪われる。ゲームやマンガの逃げ場は、宿屋と同じだ。HPもMPも回復する。充分に回復したら、ルーラでどこか別の街を訪れる気概も起きてくるというものだ。夫にとっては、ゼルダだった。いつか、子供にも家でもない、親でもない逃げ場を必要とする日が来るかもしれない。その時は、むやみに叱らないようにしよう。気づけるだろうか。
改めて、アマゾンレビューの青年リーマンさん、ありがとう。
あなたの境遇をレビューに織り込んでくれなかったら、私は夫の救いになるものにゼルダを選択する事はなかっただろうし、なによりあなたの感受性豊かな文章じゃなかったら、私の心に選択肢として響く事もなかったと思う。
今まではレビューに「前のものが壊れたので」とか「子供がみんな持ってて欲しいというので」とか、購入に至る背景を書く人を「知らんがな」と鼻で笑っていたけれど、今回ばかりはあなたのレビューに救われました。
ありがとうございました。
最後に。
青年リーマンさんにもゼルダの加護がありますように。
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